三十歳になったばかりの頃だった。僕は自分の髪に何の悩みも持っていなかった。むしろ、少し多すぎるくらいだと思っていた。しかし、その自信は、ある一枚の写真によって脆くも崩れ去った。会社の飲み会で、後輩がふざけて僕の後ろ頭を撮った写真だった。スマートフォンの画面に映し出された自分の頭頂部を見て、僕は言葉を失った。そこには、自分が思っていたよりもずっと地肌が広がり、つむじを中心に髪が渦を巻くのではなく、放射状に弱々しく散らばっている、見慣れない自分の姿があった。冗談めかして「部長、お疲れですね」と笑う後輩たちの声が、やけに遠くに聞こえた。その夜から、僕の日常に「頭頂部」という新しい脅威が出現した。これまで気にも留めなかったエレベーターの防犯カメラ、駅のホームの監視モニター、ショーウィンドウに映る自分の後ろ姿。世の中のあらゆるものが、僕の頭頂部を暴き立てるための監視装置のように思えてならなかった。風呂上がりに合わせ鏡で自分のつむじを確認するのが、恐怖の日課となった。濡れた髪は容赦なく現実を突きつけ、見るたびに絶望的な気持ちになった。市販の育毛トニックを買い、毎晩頭皮に振りかけたが、気休めにしかならないことは自分でも分かっていた。何より辛かったのは、自信を失っていく自分自身と向き合うことだった。会議で発言する時も、どこか声が上ずってしまう。人と話していても、相手の視線が自分の頭上をさまよっているのではないかと、疑心暗鬼になった。このままではいけない。悩み続けることで、僕は髪だけでなく、自分らしさまで失ってしまう。そう思った時、僕は初めて、この問題から逃げるのをやめようと決意した。それは、単に髪を取り戻すためだけの戦いではない。失いかけた自信と、前を向いて生きるための、自分自身との戦いの始まりだった。